月の裏で会いましょう(niboshiのマイノリティレポート)

半分ホリスティックな事、半分スピルチュアルな事、半分現実的な事・半分ゆるい話・時々報告

想定外の想定外(2)

この秋は実によく雨が降りました。


さて、自分は人間ドックを受け、その結果を

元に再検査を受け他の事を考えてる今


前に自分の波動測定器で内臓とかの波動測定

しました。が

今回の1年余の結果で、内臓全部問題なし。

血液も何も。若干、好中球の値が高かったが…(アレルゲン調べてねー)


結論から言うと波動測定と物理レベルの

身体はあんまり関係ないか。もしくは微妙。

感受性は人それぞれだから。


実は自分は今年2月に転職しました。

よくいえばヘッドハンティング

悪くいえば、掠奪。その方が事業を何とか

進めたいがため連れて行かれた。

(自分がボーッとしていたのだろう)

連れて行かれた先は戦場だった。が

過去にそんな修羅場は経験していたので

何なく乗り超えていた。

が、身体は正直でその事業所に

1ケ月過ぎようとした頃から

急性胃腸炎でお腹の調子がどうにも

悪くなってきた。

前にメタトロンの検査で胃の下部が弱っていたからそのせいかと思っていた。

(全然関係なかったが)

オーストラリアンブッシュのフラワーエッセンスや胃腸炎の薬💊使いまくっていた。

クローン病潰瘍性大腸炎も疑っていた。


検査では何も問題なかった。


一過性のストレス性の胃腸炎だったのだ。

にゃんてこと。

二週間くらいリーゲが止まらず、食べると

止まらないからその間食べなかった。

ら、痩せたが。

お腹にいいものを少しずつ取って

少しずつ回復。


波動ねー

わかりません。


ただその春先のことがあり

自分は少しずつ

身体の中が強くなった気がします。


想定外の想定外(1)

本当に台風の余波で想定外の事が

いろいろある。が


人間は自然の力にはかなわないのだな。


どんなに文明が栄えても

どんなに科学が進歩しても


だから乗り越えたくて

努力してきた

自然もコントロールしようと。


過去、マヤ文明のような文明が

滅んだのは何故だろう


いつの時も

想定外の想定外は起こりうる。


だから明日どうなるかわからないから

自分が本位に思う事は

少しでもカタチにして

悔いないようにしていけたら



日常(自由とは)

諺で


箸が転がるよう

箸が転がるような笑い


と、あるが

若い女の子達の生活は

そんな箸が転がるような

笑いで溢れている。


意味は

ケラケラ

どうでもいいことを

喜劇や笑いに茶化してしまう

若い子は天才🤣


ワタシも笑いの天才だったと思う

そういう才能があったんだ🤭


大人になりその才能に

蓋をしてた。


ただ今から再びその蓋を開けるか

どうかはわからない。


でも、蓋は閉じなくて好きに

開けたり伏せたりしていいよ

と、いう思いが湧いただけでも

気が楽になった


中学高校生の

校則の厳しい中でも

明日を楽しもうという

気負いがある事は素敵だ。


それは別なカタチで

精神に、また知能に、身体に

判定がつかない難病に障害が

あったとして

制約があったとしても

夢みること、楽しむこと、

自分を自由に生きることは

あっていい


自分を縛らないで。

オープンマインド

日常(幸せを見つけた)

誕生日を終えて自分は小旅行に週末行ってました。(主人は家にいました)


こんな小さな事で気分がまぎれるなんて。

自分のコーピングをいろいろ試してみようと

思います。

何も特別な事でない。

空気が良かったり

景色が良かったり

行き交う人が優しかったり

水がすごく美味しかったり


すごく自分だけの幸せを感じた。

このまま自分だけの本当に思う幸せを

感じることで

本当の自分に会える気がした。


今の仕事嫌いではない。

そのままで自分の心の角度を変えるだけで

ワタシでいられる。


抽象的ですが

そのまま

ありのまま

しなやかな心があればよい

日常(誕生日を迎えて)

秋分の日の三連休の中日に、叔父の葬儀があった。ささやかな家族葬で、最後に音大の生徒の
バイオリンとフルートの演奏で送り出しとなった。
生前180センチ近くあったダンディな叔父が
お棺に入った姿は、かなり小さくなりまた
信じられないほど老けてやせ細っていた。

ご僧侶の最後の詞が胸に残った。お釈迦様の教えの中で四苦がある。生、老、病、死
生まれた苦しみ、老いていく苦しみ、病の苦しみ、死の恐怖への苦しみ
人それぞれ苦しみは違うけど、与えられた生を
自分らしく精一杯生きていけばいい。と。

生を全うして旅だった叔父さん。胃がんと複数
の病気を抱えていた。病気の事はあまり語らなかった。
いつのまにか進行して、抗うことなく病を受け入れ生に執着するわけでもなく、淡々と死を迎えていた。

自分なら、生きるのも病むのも老いるのも死を考えるのも抗って暴れて泣いてすがって、あらゆる感情を剥き出しにして苦しみを訴える。
苦しみをより苦しくしているか。
苦しみに対する抵抗力?なさすぎ。
幸せや幸せ風なもの明るそうなもの、
希望や夢に執着しているんだな。
何もなくとも
暗くても
絶望的でも
淡々と生きる。

さあ、誕生日を迎えました。(9月25日)
死に一歩近づきました。
自分らしく自分の生を生きてください。
自分らしくがわからない。
自分を生きるがわからない。
私が去った時、その存在が
みえてくるか。

毎日毎日
病の人ばかり
夢も希望もお金もない
老いて性格も歪み暗い

希望がみえない場所で
自分はよく毎日送れるなと思う(福祉の現場)

病んで、金なく、意固地な方々と
どう関わればいいか
淡々と淡々と生きるか
ささやかな出来事が
大きな喜びにはなるが


ワタシの知らない世界(3)現実編

台風15号


ワタシよりベテランな方々が先に

起動し始めたが。

連絡取れないことが一番大変らしい。


何もできない時

ささやかでも

応援しよか。

神様とお話しして

ことがうまく運ぶようにと。

暑いので

お湿り程度の雨を降らせてくださいと。


遠くで祈るよ。

ワタシの知らない世界(2) 現実編

台風15号が去って

天気予報の予測は素晴らしかった。
が現実世界では予測できない事ばかりでした。
(自分の住んでいるのは東京)

都内は電車の乱れがすごくて。
が、私はバスまたは自転車通勤なので特に問題はなかったが事業所から
交通機関の混乱が予想されるので休める方は自主的にお休みください」とメールが来た。
この日午前から病院訪問などあったが調整して午後から出勤しました。(事業所には自転車で)

都内も看板や木の枝が散乱して凄かったが。
自分の実家、千葉はもっと大変だった!
自分の実家は千葉の木更津。
実家の物置が全壊だとか。本体の家は大丈夫。
だが実家の区画一つ違うと電気が止まってる。
わーと思って地元の更に千葉奥(君津、富津)の
友達に連絡するが返事がない。
1日半経って富津の子から、電気が止まっている話しのラインが入る。
君津の子はまだ。 
大丈夫か?
週末、自分は三連休は実家の全壊物置の後処理お手伝いとボランティアしてきます。

亀さん達の第2の故郷でワタシの故郷。
小さい頃からの友達の危機に何とかチカラになりたいと思います。

会おう会おうといって。なかなか会えない友達に
こんなカタチで会うなんて。

乗り越えようね。