コロナ禍で生きる(未来を考える1)
緊急事態宣言3度目。
そうですか。という感じと
感染予防はしっかりしましょうというだけ。
ワクチンの効果を期待しつつ歴史を考える。
人類と感染症の戦いはとても長い。
感染症を予防するため公衆衛生は普及したのだ。そうそれがあったため次が生まれた。
実は時間の概念がわからなくなる。
歴史は繰り返す。カタチを変えても。
ずっと自分について考えいたが、客観的な視野を持っても見えない部分は見えない。
もう面倒くさくなった。と、
その時、仏陀を思った。
河で水行をしていた時、自分に対してミルク粥を差し出してくれた女性の粥を受け取りしっかり飲み干した。厳しい教義には反するが。
宇宙は広い。細かい教義より素直にそれを受け入れる自分もまた宇宙の一つ。
わからないものはわからない存在としてありのままを受ければいいのではないか。
コロナ、コロナと騒ぐより、感染防止のためのスキルをしっかり行い、後は自分時間を過ごす。コロナはどれだけ自分の時間コントロールと内省力の磨きをかけてくれる時期だと思う。 もっとも未来は最初から決まっているかのように思う。そうか。
自分が自分でない事にはほどほどでいい。
夢中になれる事にワタシの人生の課題がある。
スピリチュアルもあるが、そのカードは既に自分は持っていて自分は違う。
やはりソーシャルワークだ。(今世の自分にとって)コロナ禍で不幸を背負ってしまった人々に何ができるか。何か
コロナ禍の中で生きる(4)
1ケ月ぶりに記録
コロナ禍の中で生きる(3)
東京のコロナ数 300人台。
日々注意が必要です。
注意といえば、言葉はこわい。
ホントに。
森会長が辞任し次の会長決めが大変となってます。
権威というのは持つと如何様にも使えるようだが、失脚した時反動が大きいなあと
改めて思いました。
こんな未来が待っていたなんて森会長も
思わなかったでしょう。
自分も外出好きでストレス溜まると思っていたが、いくらでも家にいられる事にビックリです。
やらない理由はわかっている
今の自分に必要ないから。
情報が多いと頭が疲れる。
自分が必要なものを取捨選択して
いけばいい。
自ら他人のプランに踊らされて
そこで不安になる事もない。
どこかで諦めが肝心かな。
最近、TVも見ない。
どうしたものか。
(Tverだったかな)
見たいドラマやバラエティを
少しだけ自分の都合の良い時に
みるスタイルにかえてしまった。
なんで?
仕事とプライベートの時間が
変わってきたから。
働き方も変わってきたから。
家で今までつくった事ない料理をつくり
家で今まで来たことない服をきて
(ワンピースとか楽な格好)
家で小学生のような生活してたら
(時間割決めて早寝早起き)
ライフスタイル変わるよな。
だって夜飲みに行けないし。
休日、街中行けないし。
イベントわいわい出来ないし。
だから、ぼっち活動励んでます。
仕事では手間のかかる利用者の
ご自宅訪問や手続きの見直し。
思わぬ発見もありました。
思っているより、この人は重いとか。
だから、全体の見直しが必要だとか。
家の亀🐢さん達の甲羅みがきも
してあげてます。
後、リクガメさんの公園散歩も。
以外な意外な方面の自分のやりたかった事の実現出来ています。
ようはやはり、まわりに振り回されて
本来の姿が見えにくい世の中だったんだ。
とか思うところもある。
コロナ禍の中で生きる(2)
東京のコロナ感染が1000〜2000の間で、日々気持ちも揺れます。
こんな中、真面目な私のエライ所は朝夕、検温している所かな。
朝は35度代。夕方は36度代。
人間、夕方の方が体温高いんだあ。と感心。
モノ食べた時と眠い時も、割と36度台
さすが哺乳類と感心してしまう。
人混みはなるべくさけてますがやむおえない時は対策をしっかりして望んでいます。
本日は自分は某研修のファシリテーターで
呼ばれて出席していました。200〜300人位入る会場で、50人位に参加を絞り開催、コロナ対策バッチリでソーシャルディスタンスしながら行ってました。
その研修はそもそもホントは1500人位受けねばならぬ研修でした。
今回ね研修は全体の半分に受講生を減らし会場で更に減らして行っていた。
教室の会場は窓開け放しで行ってました。
年度の計画があるかもしれないが今年度受講出来ない人は来年に回る。
とすると来年の計画もまたかわるだろう。
来年の計画をそのまま来年の計画+今年度出来なかった事の実行になるだろうか。
来年の計画の全体もまた見直していく必要がありそうだ。
ようはスピルチュアルでないけど、未来は一つでない。複数ある。
後は参加者の意思か。
コロナ感染も自分の受け止め方で未来がかわるだろう。A Iはおりこうだね。
皆、学習しようよ。
コロナ禍の中で生きる⑴
言葉にできない(半分スピリチュアルバージョン)
PCRは陰性だった。
昨日の夜、突然、警察から電話があった。
ワイさんを知ってますね。
はい。
お亡くなりになりました。
⁉️
利用者さんのワイさんが、自殺をはかったようだ。
身内の連絡先を教えてくれと警察。
事業所に行かないと、わからない。と
タクシーを飛ばし事業所にいく。
ファイルに家族と勤務先の連絡先があり
警察に伝える。
希死念慮など、ない利用者さんだった。
わかるけどね。
家族間の確執が基本にあったんだよね。
その上、コロナ明けで、明確でない仕事を
ふられたりしてたら。
半分、スピリチュアルで考えたい。
もう、幽界はないから
次意識したらアストラル界だよ。
その時は、途中と思っても
そこまでが学びだったかな。
後はひたすら、自己浄化。
ソウルマスターに戻っていくだろう。
コロナのおかげで(PCR検査受ける)
笑い話しではないです。
7月の連休前から高熱がでて(38度)
数日続き、連休明けの月曜日に
かかりつけ医を受診し
紹介状を書いてもらい
PCR検査センターで検査を受ける。
まぁ熱が下がってからの
検査なので陰性と思いたいです。
検査センターの検査員の方々は
暑いにも関わらず防護服に
身を包み、次から次と
検査者の対応をしていました。
因みに本日の自分の行動と
支援関係者の方々の動き。
自分は連絡前から熱がでて
連休中に病院の受診を考えていたが
休日の外来以外の人(コロナ検査をしてほしい)は受けつけないといわれた。
それで
連絡明けに主治医に電話し
面談に至る。
紹介状を書いてもらい
検査センターへ。
検査の受付は11時までと
聞いていたので
主治医の元を9時半に出て
9時50分くらいには
検査センターの長い列の最後尾に
並んでいた。
待つ事。30分くらいで最初の
テントにたどり着く
最初のテントは
検温とパルスオキシメーターで
身体のチェック。
その後
かかりつけ医や医師からの
紹介状の確認と保健証の確認。
その工程が終わった後
名前と生年月日と紹介状を確認後。
バーコードのようなシールと
試験管を渡される。
そこまでが第一テント
第二テントに入ってすぐ
今朝の体温を聞かれ、パルスオキシメーターで酸素濃度を測られる。
紹介状の確認もされた。
第二テント中に入り
コードと本人の確認。
第二テントの奥に入り
紹介状と試験管をバインダーの
ようなもので挟みながら
検査技士のような方が
目の前に来て
名前を再度確認する。
そして
「斜め上を見て遠くを見てください」と
鼻の穴に綿棒の長いものを突っ込まれる。
終わった。
その後は、検査士さん達から今後の
説明があった。
陽性なら4日くらいに
本人の電話に連絡ありますと。
陰性なら一週間後、手紙が届きすと。
4日間ドキドキです💓
画像はミントの花🌸