コロナ禍で生きる(未来を考える1)
緊急事態宣言3度目。
そうですか。という感じと
感染予防はしっかりしましょうというだけ。
ワクチンの効果を期待しつつ歴史を考える。
人類と感染症の戦いはとても長い。
感染症を予防するため公衆衛生は普及したのだ。そうそれがあったため次が生まれた。
実は時間の概念がわからなくなる。
歴史は繰り返す。カタチを変えても。
ずっと自分について考えいたが、客観的な視野を持っても見えない部分は見えない。
もう面倒くさくなった。と、
その時、仏陀を思った。
河で水行をしていた時、自分に対してミルク粥を差し出してくれた女性の粥を受け取りしっかり飲み干した。厳しい教義には反するが。
宇宙は広い。細かい教義より素直にそれを受け入れる自分もまた宇宙の一つ。
わからないものはわからない存在としてありのままを受ければいいのではないか。
コロナ、コロナと騒ぐより、感染防止のためのスキルをしっかり行い、後は自分時間を過ごす。コロナはどれだけ自分の時間コントロールと内省力の磨きをかけてくれる時期だと思う。 もっとも未来は最初から決まっているかのように思う。そうか。
自分が自分でない事にはほどほどでいい。
夢中になれる事にワタシの人生の課題がある。
スピリチュアルもあるが、そのカードは既に自分は持っていて自分は違う。
やはりソーシャルワークだ。(今世の自分にとって)コロナ禍で不幸を背負ってしまった人々に何ができるか。何か